発達障害 〜中学3年生〜 不登校になった息子が選んだ進路
中学3年生。
多くの子どもたちが、「卒業後の進路」という大きな選択に直面する時期です。
義務教育までは「みんな同じ」だったのに、いきなり「自分の道を選ぶ」というタイミングが来る。
特に発達障害のある子にとっては、それがとても重く、複雑に感じられることもあります。
そして進路を考える中で、親子の価値観のズレや、本人の自信のなさが浮き彫りになることもあります。
息子Shoの場合も、まさにそうでした。
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◆支援級での立場とプレッシャー
情緒支援級に在籍していたShoでしたが、クラスの中で3年生は1人だけ。
自然と支援級の「リーダー」のような立場になってしまい、やらなければならないことが増えていきました。
さらに、「卒業後どうするのか」という進路の不安やプレッシャーも重なり、心の中には、言葉にならないような焦りや迷いがあったのだと思います。
次第に登校が難しくなり、夏休み前には不登校に。
そしてある日から、言葉が出なくなってしまいました。
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◆「話せない」のではなく、「話すことがつらい」状態
学校へ行かなければいけない、そういう“やらなければいけないこと”は、きっとShoもわかっていたと思います。
でも、それが「できない」。
その理由をうまく言葉にできず、伝えてもどうにもならない――
そんな思いが積み重なって、ついには「言葉を出すこと自体」がつらくなってしまったのかもしれません。
実際、ストレスのかからない場面では、ちゃんと話せていたのです。
「話せない」のではなく、「話せるけど、話すことがつらい」状態。
きっと、正論をぶつけられるたびに、自分を責めるような気持ちになっていたのでしょう。
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◆「もう9月」と「まだ9月」
私も、先生たちも、Shoの気持ちは「わかっていたつもり」でした。
でも一方で、「このままでは前に進めない」という現実もあり、どうしたらShoにとって一番いい形になるのか、手探りの日々が続きました。
確か、他の生徒たちは夏休み中に体験入学などに参加して、志望校を決めていくのが一般的だったと思います。
でもその頃、Shoは登校すらできていなかったので、体験にも参加できず……。
私は内心、かなり焦っていました。
「このままで本当に進路が決まるのか」
そんな不安でいっぱいだったある日、スクールカウンセラーの先生が言ってくれた言葉があります。
それは
私の「もう9月なのに……」に対して
「まだ9月ですよ」
という返し。
(もしかしたら10月だったかもしれませんが😅)
たったそれだけ。でも、その一言に、心がふっと軽くなったのを覚えています。
自分でも気づかないうちに、「周りと同じペースで進まなきゃ」と思い込んでいたんですね。
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その後、Shoは秋に私立と公立の高校を1校ずつ体験させてもらい、
最終的に選んだ支援学校の高等部は、個別相談でしっかり話を聞いてもらえたと記憶しています。
周りよりペースは遅かったかもしれませんが、
なんとか一歩ずつ進んでいきました。
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◆進路は、“自分で選ぶ”もの
そして、あらためて私がいちばん大切だと思っているのは、
進路は、本人が決めるものだということ。
もちろん、親として心配は尽きません。
「本当にそれでいいの?」と口を出したくなることもありました。
学校の先生からも、「支援学校だとShoの力が発揮しきれないのでは」といった言葉をいただいたこともありました。
でも、どんな道を選んでも、歩いていくのはSho自身。
その覚悟と責任は、“自分で選んだ”という経験があってこそ育っていくんだと思います。
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◆「1番ストレスが少なそうな学校を選んだ」
現在22歳になったShoに、あらためて聞いてみました。
「どうして特別支援学校高等部を選んだんだっけ?」
返ってきた答えは、こうでした。
「1番ストレスが少なそうな学校だった」
この一言に、すべてが詰まっているような気がしました。
シンプルだけど深い理由。
今になって思えば、それが彼にとって“自分で決めた”という意味でもあり、
“自分を守る”という大切な選択だったのだと思います。
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実際には支援校には支援校なりのストレスがあって苦労もしましたが、
「中学3年間を振り返るとあっという間だったから、高校の3年間も短いよ」
と声をかけながらなんとか卒業まで過ごしました……
Shoが高校生活でどんな時間を過ごしたのか、そして卒業後の話も、今後別の記事で書いていこうと思います☺️
発達障害 〜中学1・2年生〜 思春期の人間関係、悩みも成長のステップ
中学生になると、急に勉強が難しくなったり、人間関係が複雑になったりと、子どもにとっては大きな変化の時期になります。
さらにこの時期は、思春期・反抗期とも重なり、心も大きく揺れ動くころ。
親としても「どう接したらいいのか分からない」と感じる日々が続くことも少なくありません。
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Shoの場合
細かいトラブルはありましたが、Shoはなんとか登校を続けることができていました。
それは、良い先生や友達に恵まれていたおかげが大きかったと思います。
幼い頃から、男の子同士よりも、女の子と穏やかに遊ぶ方が性に合っていたSho。
けれど思春期を迎えるにつれ、本人も周囲も少しずつ複雑な気持ちを抱えるようになっていきました。
小学生のころから仲の良かったKちゃんも、周囲の冷やかしを気にして、Shoとは距離を置くようになってしまいました。
詳細は聞きませんでしたが、ASDの特性である「空気が読めない」と「気持ちの切り替えが難しい」という問題からトラブルになることは容易に想像できます。
簡単に言いますと、やんわりと距離を取りたいことを伝えようとするKちゃんに対して、全く理解できずに行動するSho、という感じです。
Shoにとって、それはとてもつらい経験だったと思います。もちろん、Kちゃんにとっても……。
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障害のある・なしにかかわらず、この年頃の子どもたちは、いろいろ悩みながら、失敗しながら成長していくものです。
でもShoの場合は、発達障害の特性が絡んだ行動が問題視され、ついには学校の先生から注意を受けるような事態になってしまいました。
私はShoの気持ちに寄り添うことしかできませんでした。
学校の対応に疑問や不満を感じることもありましたが、それでも「この経験が何も言われないまま大人になっていたら」と思うと、怖さも感じます。
社会性は、いろんな人と関わり、時にはトラブルを経験し、そこから学ぶ中で育っていくもの。
だからこそ、できることなら「なるべく小さなトラブルで気づいて学んでほしい」と、親として今でも強く願ってしまいます。
この出来事をきっかけに、Shoとは「相手の気持ちを考えて行動できるようになろう」と話し合い、今後も意識していこうと、心に決めました。
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実はこの話には後日談があります。
Shoが20歳を迎えた年、地域の「二十歳の集い(旧成人式)」で、Kちゃんが声をかけてくれたのだそうです。
「車で出かけるときに、時々Shoが歩いてるの見かけてるよ」と。
Shoも、きっと嬉しかったことでしょう。
2人で一緒に撮った写真を見て、私は胸がいっぱいになりました。
Kちゃんは、とても素敵なお姉さんになっていました。
過去のわだかまりも、すれ違いも、いろんなことがあったけれど……
こうしてまた、あたたかくつながることができたことに、ただただ感謝の気持ちでいっぱいです。
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辛いことがあっても、それはきっと成長のためのステップ。
ステップに変えていく力が、自分にも、子どもにもある――そう信じて、前を向いていきましょう。
時には「まぁいいか」と肩の力を抜いて。
自分には何もできないと思う時も、時間が解決してくれることだってあるのです。
発達障害 〜小学校高学年〜 自己肯定感がゆらぎ始める頃
小学4年生くらいから健常なお子さんでも反抗期が始まると言われています。
発達障害のある子には、さらに別の悩みが見えてくる時期でもあります。
「可愛いからいいか」と思っていた親の気持ちが、
「可愛いけど……このままでは……」と、少しずつ変化していく。
学校生活では、自分で「みんなができていることができない」と気づき始める子もいます。
自己肯定感が揺らぎやすく、親も子も戸惑いながら、手探りで進んでいく時期です。
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Shoの場合
小学3年生の頃、登校しぶりをきっかけに、発達障害児専門のクリニックに月1回通うようになりました。
その後も、物を隠す・夜に家を飛び出すなど、さまざまな問題行動が見られるようになっていきました。
特に印象に残っているのは、何かやらかしたあとに「記憶にない」と言うようになったこと。
本当に覚えていないのか、それとも責任から逃れたかったのか……当時は私にも判断がつきませんでした。
正直なところ、今でもよく分かっていないんですよね😓
それでも、「この子なりに、何かしら苦しさや混乱があったんだろうな」と思うようにしています。
親としてどう対応すればいいのか分からず、精神的に追い詰められることもありました。
今、22歳になったShoに当時のことを聞いてみると、
「調子に乗ってた」「黒歴史」「思い出したくない」――
そんな言葉が返ってきます。やっぱり本人にとっても、あの時期は苦しかったのだと感じます。
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そんな中、月1回の通院で専門の先生に話を聞いてもらえることは、親子ともに心強い支えになりました。
病院以外にも、スクールカウンセラーや市の電話相談など、たくさんの場で話を聞いてもらいました。
親子で太鼓教室に通い始めたり、子どもたちだけで祖父母の家に泊まりに行かせたりと、
家とは違う空間で過ごす時間も意識的に作っていました。
(太鼓は今でも地域のお祭りなどに親子で参加しています♪)
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「困ったことがあったら、逃げ場がある」
「ひとりじゃない」
そう感じられる時間や場所を、意識的に作っていくことが、私たち親子には必要だったのだと思います。
それと同時に、子育てから少し離れてリフレッシュする時間も私には必要でした!
この時期、私はパートで働きに出るようになり、「母親」という立場から少し離れることが、
結果的に気持ちの切り替えにつながっていたように思います。
発達障害 〜小学校低学年〜 子ども本人の「困り感」が見えてくる頃
小学生になると、子どもたちの生活は一気に「社会化」していきます。
集団行動・時間割・ルール・宿題・友達づきあい……。
いろんな「決まり」の中で過ごすようになり、これまで見えていなかった困りごとが、少しずつ顔を出してくる時期でもあります。
Shoの場合は就学前に発達障害の診断を受けていましたが
小学校入学時は情緒支援級がなかったため普通級に、
小学2年から情緒支援級ができたのでそちらへ。
それでも3年生になり登校渋りが始まったので、相談センターやスクールカウンセラーに相談し、検査を受けたり発達障害専門のクリニックへ通うようになりました。
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22歳になったShoに当時の気持ちを聞いてみました。
やっぱり「座って先生の話を聞く」のが、とてもつらかったそうです。
話の内容がどうこうではなく、じっとして、言葉だけを頼りに物事を理解するのが、体に合わなかったのかもしれません。
休み時間が終わっても、教室に戻れないことがよくあったそうです。
そのとき彼が向かっていたのは、校庭のブランコ。
他の子たちがいなくなって、やっとひとりで使える時間がきたとき、彼はそこでようやく「落ち着ける」と感じていたのかもしれません。
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“できないのはカッコ悪い”と感じる気持ちが芽生えなかったことも、そうした行動につながっていたのではないかと、今では思います。
多くの子どもたちは、「みんな嫌だけど頑張る」「ガマンしてやる」ことを通じて、小学生としての「自覚」を育てていくのでしょう。
「休み時間が終わったら席に戻る」とか、「静かに話を聞く」とか。
それが「かっこいい」「みんなやってること」として、少しずつ身についていく。
Shoはその“意識”がなかなか持てなかった。
「気持ちの弱さ」ではなく、
おそらく発達障害――特にASD(自閉スペクトラム症)の特性である「他者の視点を持つことが難しい」ことが、その理由だったのだと思います。
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でも、時間はかかっても成長とともに他者の視点を少しずつ身につけていく子もたくさんいます。
Shoにも19歳ごろ、“カッコよくなりたい!”という気持ちが芽生えました。
それからダイエットに取り組み、見事に成功。
苦手だったヘアカットも、今では自分で美容院を探して、2か月に一度通うようになったのです。
発達障害かも? 幼稚園・保育園での心配
幼稚園や保育園に入り、親元を離れて集団生活を始めると、つい他の子と比べて不安になることもあるかもしれません。
でも、あまり「比較」にとらわれすぎずに、「その子らしさ」を大切にしていきたいものです。
私の好きなことば
「みんなちがって、みんないい」
のように、それぞれの子にそれぞれの育ち方やペースがあります。
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Shoの場合——
年少のとき、園では言葉があまり出なかったようで、担任の先生からは「4歳ぐらいで急に伸びる子もいますから、しばらく様子を見ましょう」と言われました。
年中になると、私にもママ友ができて、親子数組で一緒に遊ぶ機会も増えました。けれど、そんな中でもShoだけは子どもたちの輪に入らず、大人のそばにいることが多かったのが印象に残っています。
そして年長。参観日では、私を見つけると席を離れてこちらに来てしまうことも。周りの子はちゃんと座っているのに…と、その様子を見て不安になったのを覚えています。
園の先生から「発達が心配です」と言われたことは、実は一度もありませんでした。
振り返ってみると、はっきりした問題行動がなかったからかもしれません。
でも今になって思うのは——
**「親が気づいて、動かなければ変わらなかった」**ということ。
先生たちも、もしかすると障害の可能性を頭の片隅に置きながら、Shoの成長を見守ってくださっていたのかもしれません。
あとになって、私の母(Shoの祖母)に話を聞いてみたことがあります。
「あれ?と思うことはあったよ。」
気づいていたけれど口には出さなかった、ということだったそうです。
もしかすると、まわりにも同じように感じていた人はいたのかもしれません。
発達のことはデリケートな話題なので、「親が気にしていないのに、わざわざ言うのは…」と遠慮する人も多いのでしょう。
不安を抱くこと自体、悪いことではありません。
たとえ心配しすぎたとしても、動いてみて初めて気づけることもあります。
やっぱり、一番近くにいる親の気づきと行動が、何よりの出発点だと思います。
心配になったらまずは園の先生に相談しましょう。発達相談センターや保健師など、地域の支援機関の情報も教えてもらえるはずです。
この時期の「気になる行動」は、成長の中で変わることもあります。
困りごとを自分で乗り越える子、上手に隠してしまう子、支援が必要になる子——みんな違います。でも、それでいい。
「みんなちがって、みんないい」と信じて、
発達障害かどうかに関係なく、「その子に合った育ち方」を一緒に探すことが大切です。
「支援=特別なこと」ではなく、「困りごとを少し軽くするための工夫」と考えて、必要なら迷わず取り入れていきましょう。
息子からの言葉、私の宝物
このブログを始めるきっかけになったことのひとつ。
それは、息子Shoがくれた言葉でした。
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母はずっと、発達障害を持って生まれてきた自分を受け入れてくれて、真剣に向き合ってくれました。
ずっと長い間、22年間ずっと、大変なことや悩んでしまうこともありましたが、けっして自分を見捨てることなく、母にとって何よりも大切な宝物として息子である自分と弟をずっと大切に育ててくれました。そう感じます。
自分が、自分を強く責めて、「自分なんて生まれてこなければよかった」「弟だけ生まれてこればよかった」などのようなことを言ってしまった時期も、それよりもそのことを本気で大切に思ってる人が聞いたら悲しむよって言ってくれたし、弟と自分を比較して(自分自身が)「自分はダメなやつだ」と言った時も、それぞれ違うけどそれぞれに良いところがあると教えてくれました。
その通りだったと感じています。
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これは、ネット上の人生相談サービスで「お母さんについてどう思っていますか?」と聞かれて、ShoがAIを使わず、自分の言葉で書いたものなんだそうです。(1人称がShoの名前になっている部分だけ“自分”と置き換えました)
ネットで有料の人生相談??と突っ込みたくなる気持ちもありましたが、
読んでみると泣けるほど嬉しい内容でした😭
この文章は、今の私にとって間違いなく宝物です。
言葉にするって大事。
自分の気持ちも、相手の思いも、言葉にして初めて伝わることがある。
ときに刃にもなるけど、心をこめて出せば、ちゃんと誰かに届くんだなって思います。
弟のYuは、それなりにできた自慢の息子。誇らしくて、頼もしい存在です。
でもShoは、私にたくさんの気づきをくれる息子。
谷がある分、山も大きい。だからこそ、特別に感じることがたくさんあります。
そして今は――
大げさに聞こえるかもしれませんが、
「私はShoの母になるために生まれてきたのかも?」
そんな言葉がふと頭に浮かんだので、ここに書き残しておこうと思います。
Shoが書いてくれたとおり、ShoもYuも、私にとってはかけがえのない宝物です!
発達障害かも?(0〜3歳)
0〜3歳ごろの子どもには、発達のスピードや興味の方向に大きな個人差があります。
この時期に「ちょっと気になるな」と思うことがあっても、成長とともに自然と落ち着くケースもたくさんあります。
だからこそ私は、健診などで明確な指摘がない限りは、“見守る”ことがとても大切だと思っています。
Shoの場合
今振り返ると、「あれは特性の表れだったのかも」と思えることがいくつかあります。
当時は気づけなかったけれど、あとから見えてきたことです。
発語はあったけど、好きなものの単語ばかり
→「はいどうぞ」などのやりとりの言葉が出ず、コミュニケーションの苦手さがあったのかも
ハイハイせず、お尻で移動していた
→自分の体の動かし方がつかみにくい(感覚統合の特性)
お気に入りのおもちゃや本がなく、ヒモ・布などで遊ぶことが多かった
→興味の偏り・こだわり
帽子や靴下を極端に嫌がった
→感覚過敏(触覚)
幼稚園のプレなど集まりの場で脱走してしまう
→じっとしていられない(多動)+集団の空気が苦手
「見守る」って、どういうこと?
この時期に大切なのは、診断を急ぐことではなく、
その子の特性に気づこうとすることだと思っています。
「様子を見る」というのは、放っておくことではありません。
気にかけながら、あたたかく見守ること。
そして、必要なときにはサポートにつなげていくこと。
1人で悩まずに、地域の子育て相談や支援の場を活用してみるのもいいのではないでしょうか。
…とはいえ、私は当時まったく気づいていなかったので、正直まだ向き合ってすらいませんでした☺️